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大阪地方裁判所 平成5年(行ウ)14号 判決

原告

甲田花子

被告

大阪府教育委員会

右代表者委員長

熊谷信昭

右訴訟代理人弁護士

筒井豊

右指定代理人

姉崎敦

山口信彦

井上幸浩

阿児和成

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が平成元年三月三一日付けでした原告に対する依願免職処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者及び処分の存在

原告は、昭和四三年四月五日に大阪府高槻市の公立学校教員に任命された。

被告は、原告の退職願に基づき、平成元年三月三一日付けで原告に対して依願免職処分をした。

2  不服申立て

原告は、同年五月三〇日、本件依願免職処分は強制的に書かされた退職願に基づくものであると主張して、大阪府人事委員会に対して不服申立てをしたが、同委員会は、平成四年一二月一五日、本件依願免職処分を承認する旨の裁決をし、その裁決書は同月一七日に原告に到達した。

3  本件依願免職処分の違法性

しかし、以下に述べるとおり、本件依願免職処分は違法である。

(一) 退職願の提出の強制

(1) 原告が本件退職願を書いた経緯は次のとおりである。平成元年三月二二日午後六時ころ、原告の実家に高槻市教育委員会(以下「市教委」という。)へ来るよう電話があった。原告は、同日午後八時ころ、原告の母及び妹とともに市教委に赴いた。市教委に着くと、教育長応接室において、市教委事務局学校教育部長石野洋(以下「石野部長」という。)及び同教職員課長上出幸雄(以下「上出課長」という。)が、午後一〇時三〇分ころまでにわたり、原告に対し退職勧奨を行った。同時刻ころになって、原告は「今日は勘弁して帰らしてほしい。」と述べたが、「書かんと帰らさん。」と言われた。そこで、原告は、退職願を書かないと帰ることができず、学年末の仕事を終えることもできなくなると考えて、「それじゃ書きましょう。」と言って本件退職願を書いて石野部長らに渡した。

(2) このように、本件退職願の提出は、原告の自由な意思決定が妨げられた状況のもとにおける退職勧奨によったもので、強制的に書かされたものであるから、その退職の申出は当然に無効である。

仮に、本件退職願が無効でないとしても、その退職の申出は、強迫によるものとして取り消すことができる。

(二) 退職願の撤回

原告は、本件退職願を提出した後、平成元年三月二三日から本件依願免職処分がなされた同月三一日までの間に、被告に二、三回電話をし、被告教職員課の職員に対し、「辞めたくない。」と述べて本件退職願を撤回した。

4  よって、本件依願免職処分は違法であるから、原告は、被告に対し、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3(一)のうち、平成元年三月二二日午後六時ないし七時ころ、市教委事務局職員が、原告に対し、電話で来庁を指示したこと、同日午後八時三〇分ころ、原告が母親及び妹を伴って来庁し、同時刻ころから午後一〇時三〇分ころまで、市教委教育長応接室において、市教委職員が、原告に対し退職勧奨をしたことは認め、右退職勧奨の際に市教委職員が「(退職願を)書かんと帰らさん。」と発言したことは否認する。

原告は、同日、その自由な意思に基づいて退職願に署名押印したうえ、これを市教委に提出した。

3  同3(二)のうち、被告教職員課の担当者が、平成元年三月三〇日、原告と電話で話をしたことは認め、原告が本件退職願を撤回したことは否認する。

原告は、本件退職願を提出した同月二二日から本件依願免職処分がなされた同月三一日までの間に、被告又は市教委に対し、本件退職願を撤回する旨述べた事実はない。

4  事実経過に関する被告の主張

(一) はじめに

本件依願免職処分は、市教委が原告に対し退職勧奨を行い、原告がこれに応じて平成元年三月二二日に市教委に退職願を提出したことに基づき、行われたものである。市教委が原告に対し退職勧奨を行うに至った経緯、退職勧奨の経過等は以下のとおりである。

(二) 原告に対し退職勧奨を行うに至った経緯

(1) 原告は、昭和四三年四月に大阪府高槻市公立学校教員に任命され、同市立三箇牧小学校助教諭として勤務するようになり、昭和四四年五月から同校教諭として勤務していたが、原告の生徒に対する教育指導の方法や言動に関し、生徒の保護者から多くの苦情や指摘がなされた。

(2) 被告は、学級担任をせずにすむ中学校において原告に教科指導に専念させようとして、昭和五二年四月、原告を高槻市立第九中学校へ異動させた。しかし、同校においても、原告は、生徒との信頼関係を欠いたため、生徒の保護者から市教委に対し苦情が続出した。

このころ、市教委は、原告に対し退職勧奨を行ったが、原告は、同年八月二七日、市教委に診断書(「病名・神経症の疑。向後四カ月間の休業加療を必要とする。」との診断内容)を提出し、同日から病気欠勤するようになり、引き続き同年一一月二五日から昭和五三年三月三一日まで病気休職を命じられた。

(3) 被告は、昭和五三年四月に原告を復職させると同時に、高槻市立桜台小学校へ転任を命じた。同校では、学級担任として堪えうる資質を向上させるため、原告に図書、書写を主として担任させ、時には家庭科専科を担任させながら、研修、実践に努めるよう原告に対する指導が行われた。

(4) 被告は、昭和六三年四月、原告に対し、高槻市立玉川小学校への転任を命じた。同校では、原告に一年生の学級を担任させたが、同校においても、原告の生徒に対する生活指導、教科指導あるいは保護者への対応等において問題が生じ、生徒の保護者から市教委に対し強硬な苦情申入れがなされた。

(5) 市教委は、昭和四三年四月の採用以降、原告が在職する各勤務校の校長と連携をとりながら、教師としての資質向上を求めて、原告に対する指導を行ってきたが、原告は、周囲の言葉に耳を傾けることが少なく、頑なに自分の考えに固執するところがあり、また、自己研鑽、向上の意欲が見られず、今後も教員として勤務させることは生徒に与える影響が大きいと判断した。

このため、市教委は、平成元年三月三一日付けの退職を期して、原告に対する退職勧奨を行うに至った。

(三) 退職勧奨の経過

(1) 平成元年三月二日午後二時ころから約二時間にわたり、市教委教育長応接室において、石野部長、上出課長、市教委事務局学校教育課長八木柾失(以下「八木課長」という。)及び高槻市立玉川小学校校長青木平八(以下「青木校長」という。)が、原告に対し退職勧奨を行った。

(2) 同月五日午前一〇時三〇分ころから約一時間にわたり、玉川小学校校長室において、青木校長が、原告に対し退職勧奨を行った。

(3) 同月七日午後四時ないし五時ころから約一時間三〇分にわたり、市教委教育委員会室において、石野部長、上出課長、八木課長及び青木校長が、原告に対し退職勧奨を行った。

(4) 同月二〇日午後三時三〇分ころから約一時間三〇分にわたり、市教委教育長応接室において、上出課長が、原告に対し退職勧奨を行った。

(5) 同月二二日午後八時三〇分ころから午後一〇時三〇分ころまでの間、市教委教育長応接室において、石野部長及び上出課長が、原告に対し退職勧奨を行った。

同日における退職勧奨の経過は次のとおりである。

午後六時ないし七時ころ、石野部長が、原告に電話連絡を行い、原告に対し市教委への来庁を指示した。原告は、初め来庁を拒んだが、結局来庁の指示に応じると答え、午後八時三〇分ころ、同人の母親甲田乙子及び妹甲田丙子を伴って市教委に赴いた。石野部長及び上出課長は、市教委教育長応接室において、原告の母親及び妹も同席のうえ、原告に対し退職勧奨を行った。

石野部長及び上出課長が退職勧奨を続け、原告の母親及び妹も退職勧奨に応じるよう原告を説得していたところ、午後一〇時ころ、原告は、母親及び妹の制止を聞かずに席を立ち、帰ろうとして部屋から出た。このため、上出課長が、廊下で原告に部屋に戻るよう説得した。その際、原告から、転勤したい、転勤できなければ休職したいという申出があり、上出課長が、転勤はできない、休職については原告の母親と妹のいる前で説明すると答え、部屋に戻るよう促したところ、原告はこれに応じて部屋に戻った。部屋に戻った後、上出課長が、休職には、病気休職と起訴休職とがあるが、原告が病気でなければ休職にすることはできない旨を説明すると、原告は「退職願を書きます。」と言って、市教委職員が用意した退職願の用紙に必要事項を記載するとともに署名し、自己の印鑑を持っていなかったため、原告の妹が持っていた印鑑を借りて押印したうえ、その場で退職願を市教委に提出した。

(四) 退職願の提出後の経過

(1) 平成元年三月二三日、青木校長は、市教委から原告が退職願を提出した旨の連絡を受けたので、市教委への副申書を提出するため、原告に退職願の提出について確認したところ、原告は、発言することなく頷いてこれを確認した。

(2) 同月二四日、原告も同席した校内研究会の席上で、青木校長は、他の教諭の異動とともに原告の退職を報告したが、この時、原告から退職願を撤回するような発言はなかった。

(3) 同月三一日、原告が高槻市立市民会館で行われた辞令交付に遅れたため、青木校長が、原告に依願免職の辞令書を届けようとしたところ、同会館前で原告に出会い、その場で原告に右辞令書を交付した。これに対し、原告は異議なくこれを受け取った。

(4) 同年四月二五日、原告は、市教委主催の退職者に対する感謝状、記念品の贈呈式に出席し、表彰を受けた。

(5) 同月二八日、同年三月三一日付けの原告の申請に基づき、原告の銀行預金口座に退職金が振込送金され、原告はこれを受領した。

また、原告は、退職後、高槻市退職教職員の会に加入した。

(6) 原告は、同年三月二二日に退職願を提出した後、辞令交付までの間に、被告及び市教委に対し数回電話連絡を行ったが、被告に対する電話連絡の内容は、退職願の提出後辞めたくない場合はどうすればよいかという趣旨の相談であり、また、市教委に対する電話連絡の内容は、退職金に関する問い合わせであった。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する(略)。

理由

一  請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

本件の争点は、第一に、本件退職願が、市教委の石野部長及び上出課長の強制、強迫によって提出されたものであるか否かであり、第二に、原告が、本件退職願提出後、本件依願免職処分前に、本件退職願を撤回したか否かである。以下、これらの点について検討する。

二  本件依願免職処分に至る背景

1  高槻市立玉川小学校に転任するまでの原告の職歴等

成立に争いのない(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、原告(昭和一五年六月一七日生。昭和三八年三月同志社大学卒業)が昭和四三年四月に高槻市公立学校教員に任命されてから昭和六三年四月に同市立玉川小学校に転任するまでの職歴、勤務状況は、前記「事実経過に関する被告の主張」(二)(1)ないし(3)に記載したとおりであると認めることができる。

2  玉川小学校における原告の勤務状況並びに市教委及び青木校長の原告への対応

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和六三年四月、玉川小学校に転任し、同校一年生の学級担任となった。前任校の桜台小学校では、学級担任をしていなかったため、約一〇年ぶりの学級担任であった。ところが、一学期の後半ころから、原告に対する保護者からの苦情が続出し、また、原告の指導性、他の教職員との人間関係等に問題が生じた。詳しくは次のとおりである。

(1) 生活指導について

大半の児童が席に着かなくても授業を始める、授業中に児童が外へ飛び出して行っても注意をしない、給食指導中に児童が立ち歩いていても指導をしないなど、小学校一年生の児童にとって大切な基本的生活習慣の指導が不十分であった。

(2) 教科指導について

小学校一年生の児童の実態の把握が不十分で、一方的な授業になることが多かった。具体的には、〈1〉授業で使う言葉が難しすぎる、〈2〉ひらがな指導では、最初から一時間に五文字の進度で進み、児童が理解しにくい、〈3〉授業の中で、児童の作業や、視聴覚教材等の使用がほとんどない、〈4〉指導に創意工夫がみられない、〈5〉宿題で出す問題が、両親で考えても分からないほど難しく、また、出題の量は多いが、宿題提出後の点検や指導がなく、提出を忘れても指導をしない、〈6〉学習進度は学年で話し合って進めるが、他の学級の進度よりも極端に遅れる、などの問題があった。

そのため、昭和六三年一二月ころから、教頭が教科指導に関わるようになり、平成元年二月ころからは専ら教頭が教科指導を行うようになった。

(3) 保護者との関係について

保護者から、右に述べたような教科指導についての苦情が続出し、また、「いろいろな疑問について担任に話しても聞いてもらえない。」などの苦情も学校に寄せられた。原告は、保護者の質問に的外れの答えをしたり、一方的に考えを述べるだけになることが多かった。

授業参観や学習発表会の後の保護者との懇談会でも、保護者から原告に対する不満が多数出された。

(4) 校務分掌上の分担について

原告は、当初、給食関係機関との連絡調整を担当していたが、日々の児童の異動状況の報告漏れ、物資納入業者への連絡不十分、業者や調理員との人間関係の悪化等の問題が生じ、六月に係を外された。また、原告は、高槻市教育研究会の図書館部長及び三島地区図書館協議会の事務局長を自ら引き受けたが、これも印刷物が長期にわたって遅れる、部員への連絡が不十分である等の問題が生じ、高槻市教育研究会会長が指導にあたり、代行を立てる事態になった。

(二)  右(1)ないし(4)のような問題が生じたため、青木校長は、市教委の上出課長及び八木課長から指導、助言を受けつつ、原告に対し指導、助言を行ったが、二学期になっても原告の姿勢、態度に改善はみられなかった。そこで、市教委の石野部長、上出課長、八木課長及び青木校長らは、原告には、周囲の言葉に耳を傾けることが少なく、頑なに自分の考えに固執するところがあり、また、自己研鑽、向上の意欲がみられないものと考え、昭和四三年四月の採用以来の指導も効果がなかったことから、原告を今後も教員として勤務させることは児童にとって望ましくないと判断した。そして、翌年三月三一日付けの退職を期して、原告に対する退職勧奨を行うこととし、青木校長は、昭和六三年一二月ころから、原告に対し退職を示唆するようになった。

平成元年二月二一日には、原告が担任する児童三二名中二三名の保護者から、青木校長宛に、原告を翌年度の学級担任から外すよう求める嘆願書が提出されたため、市教委及び青木校長は、原告に対する退職勧奨をいっそう強く行うことを決めた。

三  平成元年三月における退職勧奨の経緯及び本件退職願の作成・提出

1  平成元年三月二日から同月二〇日までの退職勧奨

(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、平成元年三月二日から二〇日まで四回にわたり、原告に対し、前記「事実経過に関する被告の主張」(三)(1)ないし(4)記載のとおり、退職勧奨が行われたこと及び同月二〇日における退職勧奨の際には、原告の母親甲田乙子及び妹甲田丙子も同席していたことを認めることができる。

2  同月二二日の退職勧奨及び原告が本件退職願を作成・提出した状況

(証拠略)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

平成元年三月二二日午後六時ないし七時ころ、石野部長は、原告の実家に電話をかけて原告と話をし、その日のうちに母親及び妹を連れて市教委に出頭し、退職願を提出するよう強く求めた。石野部長が同日における退職願の提出を強く求めたのは、市教委が被告に対し市内人事異動の内申をする日が翌二三日となっており、事務手続上、二二日のうちに退職願を受理しなければ、三月三一日付けの依願免職処分を行うことが難しくなるからであった。原告は、石野部長に対し、「お勤めを続けたい。」などと述べ、市教委への出頭を拒んだが、一〇年来原告に対し指導をしてきた石野部長の説得に応じ、同日午後八時三〇分ころ、母親及び妹を伴い、市教委に出頭した。ただし、原告は、以前に渡されていた退職願の用紙及び印鑑は持参しなかった。

市教委では、石野部長及び上出課長が、教育長応接室において、母親及び妹を同席させて、原告に対し退職勧奨を行った。これに対し、原告は、容易に退職願の提出に応じようとはしなかったが、石野部長及び上出課長は、粘り強く原告に退職願の提出を求め、原告の母親及び妹も、原告に退職を勧めた。一方、原告は、学年末の仕事がまだ残っていることを気にかけており、話の途中、石野部長らに対しそのことを述べたが、上出課長は、教頭に作業してもらうからその心配はいらない旨答えていた。そうこうするうち、午後一〇時すぎころになって、原告は、退職願は書けないと何度も述べたが聞き入れられないため、帰ろうと考え、母親及び妹の制止を振り切って席を立ち、廊下に出た。そこで、上出課長が原告を追って廊下に出、「帰る。」と言う原告を、部屋に戻るよう説得した。すると、原告は、上出課長に対し「学校を変えてほしい。」と述べた。これに対し、上出課長は、転任はできないと答えるとともに、「墓穴を掘るとはどういうことか知っているか。」などと述べ、仮に他の学校に転任したとしても、原告の態度が変わらなければ年度の途中で意に反して退職をしなければならない事態になるだろうという趣旨の話をした。さらに、原告は、「それじゃ、それがだめなら休職させてください。」と述べたので、上出課長は、休職とはどういうものか、母親と妹のいる前で説得する旨答え、原告を促して部屋に戻った。部屋に戻った後、上出課長は、原告に対し、休職をするなら病気休職か起訴休職かのいずれかであるから、原告が病気でなければ休職にすることはできないと説明するとともに、原告に対し、原告が病気であるかを尋ねたのに対し、原告が病気でないと答えるなど、原告が休職できる場合に当たらない旨説明したところ、原告は、「じゃあ退職願を書きます。」と述べ、自分で退職願(〈証拠略〉)に必要事項を記入するとともに署名し、印鑑は持参していなかったため、同席していた妹の印鑑を借りて退職願に押捺し、そのうえで石野部長らに提出した。これが午後一〇時三〇分ころのことであった。

以上の事実を認めることができるところ、原告は、三月二二日の退職勧奨に際して、原告が「今日は勘弁して帰らしてほしい。」旨述べたのに対し、石野部長らから退職願を「書かんと帰らさん。」と言われた旨供述し、(証拠略)には同旨の記載があるが、右供述及び記載は、(証拠略)の記載に徴し、採用し難い。

四  本件退職願提出後、本件依願免職処分がなされるまでの間の原告の行動

(証拠略)を総合すれば、次の事実を認めることができる。

本件退職願提出の翌日である平成元年三月二三日、青木校長は、市教委から、退職願の提出があったとの連絡を受け、副申書を提出するよう指示されたため、原告に退職の確認をすることとし、原告に対し、退職願を書いたことを告げて原告の退職の意思を確認したところ、原告は、発言しなかったものの、右事実を認める旨うなずいて答えた。

翌二四日、青木校長は、原告も同席する校内研究会の席上で、他の教員の異動とともに原告が退職する旨報告したが、原告は退職したくないというような発言をすることはなかった。

同月三一日、高槻市立市民会館で行われた辞令交付に原告が来なかったため、青木校長は、依頼免職の辞令を原告に届けようとして同会館を出たところ、同会館前で遅参した原告に出会ったので、右辞令書を手渡した。原告はこれを受け取り、異議を述べることはなかった。

原告は、本件退職願提出後、同月三一日の本件依願免職処分までの間、市教委及び被告に対し、何度か電話をした。このうち、同月三〇日に被告教職員課の担当者に電話をして話をした時、原告は、自分の名前を名乗ったうえ、退職願を書いたこと、同月三一日に依願免職の辞令が出ること、退職したくない気持ちを持っていることなどを告げたが、市教委に連絡をとろうという被告教職員課担当者の申出を断るなど、あいまいな態度に終始し、本件退職願を撤回する旨の発言はしなかった。

なお、本件退職願提出後同月三一日の本件依願免職処分までの間に、原告が、市教委の石野部長及び上出課長ら並びに青木校長に対し、本件退職願を撤回する旨述べたことはなかった。

五  本件依願免職処分後の原告の態度

(証拠略)の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

原告は、平成元年四月三日、市教委の八木課長に電話をし、本件依願免職処分に対する不服の意を述べたが、八木課長は、本件退職願に基づきすでに辞令が出ている以上、手続が覆ることはない旨説明した。

原告は、本件依願免職処分にかかる退職条件(退職金及び年金)について承認し以後異議等申し立てない旨を記載した、被告及び市教委宛の平成元年四月一七日付けの念書(〈証拠略〉)を作成してこれを提出した。

原告は、同月二五日、市教委主催の退職者に対する感謝状、記念品の贈呈式に出席し、表彰を受けた。

同月二八日、原告の同年三月三一日付け申請に基づき、原告の銀行口座に退職金が振込送金され、原告はこれを受領した。

また、原告は、高槻市退職教職員の会に加入した。

六  争点に対する判断

二ないし五で認定した事実に基づき、本件の争点について判断する。

1  本件退職願は、強制、強迫によって提出されたものか。

前記認定の事実を総合すると、原告は、原告の勤務状況等から、教員として勤務を続けさせることは児童にとって好ましくないと判断し、平成元年三月三一日付けの退職を期して退職勧奨を行うことを決めた市教委の石野部長、上出課長及び青木校長から時間をかけて退職勧奨を行われ、さらに原告が本件退職願を作成・提出した同月二二日の石野部長らによる退職勧奨も時間をかけて、種々の説明を加えて行われたものであって、いささか執拗なものであったということはできる。しかしながら、原告は、石野部長らから種々説明を受け、原告が最終的に希望した転任も休職もできないことを説明された結果、自ら退職願を書く旨申し出て、退職願の用紙に自ら必要事項を記入して署名したうえ、同席していた妹から印鑑を借りて押捺し、その場で石野部長らに提出したこと、同月二〇日及び二二日の市教委における退職勧奨の際には、原告の母親及び妹が同席したこと、二二日に石野部長らが原告を粘り強く説得している間、終始同席していた母親及び妹も原告に対し退職を勧めていたこと、石野部長らが、原告の帰宅を妨げるために脅迫的言動をとったり、有形力を行使したものとは認められず、このような親族二名の同席及びその態度を考え併せると、原告が退職願を書かなければ帰れないような客観的な状況にあったとはいえないこと、前記認定の原告の勤務状況によれば、石野部長らが、原告に教員として勤務を続けさせることは児童にとって望ましくないので退職勧奨をすべきであるとした判断に不合理な点は認められず、原告の母親と妹さえ右退職勧奨をやむを得ないものと考えていたことがうかがわれること、原告は、その本人尋問中において、本件退職願を提出した動機について、学期末ないし学年末の仕事を終わらせるためには退職願を書いて帰ったほうがいいと考えたからであるなどと供述するが、退職願を書いてしまえば勤務の継続はなくなり、学期末の仕事を性急に行う必要もなくなるのであるから、このような供述自体不合理であるといわざるを得ないこと、原告は、本件退職願を提出した翌日に青木校長から退職の意思の確認を受けた際にも、これを肯定する態度をとるとともに、その後行われた校内研究会の席上で青木校長から原告が退職することを紹介された際にも何の異議を申し出ることもなかったし、同月三一日には、依願免職処分の辞令を何ら異議を申し出ることなく受けていること、さらに、後に述べるように、原告は、本件退職願提出後本件依願免職処分がなされるまでの間に、本件退職願を撤回していないうえ、本件依願免職処分後、同処分が適法になされたことを前提に行われた退職者に対する各種手続を滞りなく行い、異議を述べなかったこと、以上の事実を認めることができ、右の事実を総合勘案すると、原告は、石野部長らから種々の説明を交えて退職勧奨を受けた結果、これを受け入れ自らの意思で本件退職願を作成・提出したものであって、それが強迫又は強制によってなされたものとは到底認めることができ、ほかに本件退職願が強迫又は強制によって作成・提出されたことを認めるに足る証拠はない。

よって、本件退職願の提出が強制又は強迫によってなされたものであるという原告の主張は理由がない。

2  原告は、本件退職願提出後本件依願免職処分がなされるまでの間、本件退職願を撤回したか。

原告は、平成元年三月二二日の本件退職願提出後同月三一日本件依願免職処分がなされるまでの間に、被告教職員課の職員に対し、二、三回電話して、本件退職願を撤回した旨主張し、これに沿うかのような供述をするので検討する。

前記認定事実によると、原告は、同月三〇日の被告教職員課担当者に対する電話では、退職をしたくない気持ちを持っている旨述べているものの、本件退職願を撤回するというまでの発言はせず、右担当者の市教委に連絡をとろうという申出も断っているのであって、結局、被告に対し本件退職願を撤回する旨を述べたものとは認められないこと、同月三〇日以外の電話についても、原告がそれらの電話で本件退職願を撤回する旨述べたと認めるに足りる証拠がないこと、原告は、同月三一日の辞令交付式に遅参したが、その会場前で青木校長と出会い、同人から依願免職の辞令を交付されて、異議を述べることなくこれを受け取ったこと、原告は、同年四月一七日付けで本件依願免職にかかる退職条件について承認し、以後異議等を申し立てない旨を記載した被告及び市教委宛の念書を作成して提出したうえ、同月二五日市教委主催の退職者に対する感謝状記念品の贈呈式に出席して表彰を受け、同月二八日退職金の振込送金を受けてこれを受領し、また、高槻市退職教職員の会にも加入したことが認められ、以上の事実に照らせば、原告の右供述は採用することができず、ほかに原告主張の右事実を認めるに足る証拠はない。

よって、原告が、本件退職願提出後本件依願免職処分がなされるまでの間において本件退職願を撤回したとの原告の主張は認めることはできない。

七  結論

以上によれば、本件依願免職処分に違法があるとする原告の主張はいずれも理由がなく、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松山恒昭 裁判官 大竹たかし 裁判官 倉地康弘)

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